人生の羅針盤

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随分と前、ガレージでちんたらしてた時の事。
そこへ一人、見知らぬ男がやって来たのだ。
何だか大きな鞄を持った男が一人。

何だ?
と思い、二言三言と話を聞いてみると、なんでもこの近所を訪問販売で回ってるんだとか。
街工場と民家と空き地しか無い、こんな殺風景な所を。

お子様の多い地域にはお子様向け、或いは教育に関する用品を。
ご老人の多い地域には、同じくご長寿様にマッチした商品を。
これが販売の基本だ。
一般的な家族構成の一般的なご家庭に、スガヤの5ガン用チャンバーを訪問販売で回っても多分売れないだろう。
すでに右と左さえも解らなく成ったご長寿様には、ツチノコの置物を装えばもしかしたら1セットくらいは売れるかも知れないけど。
ツチノコ好きなご長寿様にはひょっとしたら1セットくらいは売れそうな気がしないでもないけれど、そんな事してたらロクな死に方しないので止めた方がイイと思う。

まぁ何だ。
売りたい相手に合わせた物を売る。
それが商売の基本だ。

前にベルギーに行った時の事。
確か10月くらいだったと思う。

日本に比べて結構寒いベルギー。
雪はまだまだ降らないとは言え結構寒い。

割と薄着で来てしまった私は、余りに寒いのでホテルの近所の服屋でツイードのコートを買ったのだ。
結構分厚くて重くて古臭いデザインの割りに値の張るコートを。
朝早かったからか、或いは日曜日だったのか?
いまいち覚えて無いけど、その店しか開いてなかったからそこでコートを買ったような、なんとなくそんな気がする。
ヨーロッパって、サービス業だろうと日曜日は休むのが基本だから。
お土産物屋や安息日なんて知ったこっちゃねーな移民系の店を除いて。

月日は流れ、今度は6月位だったろうか?
またもや行ったベルギー、そして泊まった同じホテル。

朝、別に何しようって訳でも無くなんとなくホテルの周りを散歩してたら、以前ツイードのコートを買った店に辿りついた。
辿りついたと言うか、ホテルから目と鼻の先なんだけども。

店は閉まってたものの別にシャッターが閉じてたりなんて事も無く、ウインドウ越しに店内は普通に見れる状態。
何処もかしこも店は閉まってたけど、大体何処も店の中は外から窺い知る事は出来る。
そんな比較的治安も良く静かで安全な地域。
トンファー片手の武装警官がガードしてたりなんて事は無い。

ふと、私はその店の店内に飾られた一着の服に目が留まった。
それはコート。
私が買ったのとは少し違うけど、概ね良く似た感じのツイードのコートだ。

何?
何なの?この季節感をまるっきり無視した頑ななツイード推しは?

勿論、幾ら梅雨とは無縁でとても心地よい気候のベルギーと言っても、6月にツイードのコートを買う程に血迷ったりしないのでスルーしておいた。
ん、要らないよ。
って、なんで6月にツイードのコート??

そんな話をドイツ人としてたら、その人の家の近所の店でも、真夏だろうと平気な顔してダウンの上下が売られてるんだってさ。
何極探検隊みたいな分厚いダウンのコートとオーバーパンツが。

そんなの売れるの?
と聞いたら、売れる訳無いだろ!とのごもっともなご意見。
そりゃ売れんわ。

ちなみにドイツ人も、真夏は半袖を着るみたいだ。
なんか必要以上にカッチリした格好してそうなイメージは有るけど、普通のドイツ人は普通に軽い格好してるみたいな。
ゴツいコートも着てないし、ヘルメット被ってガスマスク着けてたりもしない。

で、この季節感を無視したベルギーの店も、同じく真夏でもダウンを売ってると言うドイツの店も、これが主流派なのかそうで無いのかはいまいち良く解らないのだけども、商売的にはそりゃどうなんだろうね?とやっぱり言わざるを得ないだろう。
だが、日本では余程にストイックにこだわってる店、もしくはもう余程に投げやりな店で無い限り、6月にダウンの上下や分厚いコートを目立つところにディスプレイしたりしないだろう。
季節先取りにも程が有る。

勿論、状況によって色々だ。
アマゾンみたく、ひたすら売れ筋商品を研究してる店も有るだろうし、半世紀前から売れ残ってるタワシを売ってる金物屋みたいな店も有るだろう。
それは欧米だろうと日本だろうと同じだ。
色々有るよ、色々と。
と、長々と書くのも邪魔臭くなったので有耶無耶にしてお茶を濁しておこうかと思う。

まぁ要するに、季節や地域にマッチした商品を売りましょう。
って事だ。

で、話は冒頭に戻って、その訪問販売してた人。
小さな街工場と民家と空き地しか無い殺風景な地域で訪問販売してた人。
この人の売り歩いてた物は...
整備工具セットとか、日曜大工セットとか、なんかそんな類。
良くヤフオクや楽天に有るガラクタ屋なんでも屋で売ってそうな、お求め易い価格の工具セット。
5.5mmから取り揃えられたラチェットレンチセットとか、そんなの。

商品の選択としては強ち間違いでは無いとは思う。
少なくともこの地域にペルシャ絨毯を売りに来るよりは、まだトンカチ売りに来る方が売れる可能性は幾らか高いとは思う。
でも....
工場の人が、わざわざ通りすがりの訪問販売の人からトンカチ買わんよなぁってのが正直な所。
多分売るほど持ってると思うし。
場合によってはトンカチ作ってる会社も有るかも知れないし。

勿論、私も要らないな。
オートバイ整備にどうっすか?
とか言われても、多分5.5mmから揃えられたソケットレンチセットは、生涯使う事は無いだろうと思う。
5.5mmも6mmも7mmも9mmも多分生涯使わないだろう。
全世界の全ての人間が使わないとは言わないけれども、少なくとも一般的な国産バイクしか触らない私は二面幅5.5mmのM3六角ボルトなんて遭遇する機会は無いので購入は遠慮させて頂きたい。
何に使うんだろう?
キャップボルトが発明される前のクラシックな機械とか?
或いはラジコンとかその他の模型とか?
どうなんだろう?
少なくとも今まで出会った記憶が無い。

ちょっとしたドラえもんのごとく、鞄から次々と工具を出してきたこの訪問販売員。
中には一般的なバイク整備にも使える工具もちらほらと有る。
一般的なメガネレンチのセットとかドライバーのセットとか。
良くこんなに重たいのを持ち歩いてるもんだと思う。

ただ、それらが要るか要らんかと聞かれたら、要らんわなぁとしか答えようが無い。
普段使ってるコンビレンチ1本分よりも安いメガネレンチセットは今更。
中学生の頃ならともかく、今更なぁ…って思い。

ペンチ、所謂日曜大工で言う所のペンチも要らないし、スリップジョイントの銀色のプライヤーも使わないし、銀色のウォーターポンププライヤも要らないし、ベッセルっぽいねじ回しも要らないし、組み立て家具のおまけみたいな六角レンチも要らないし、ベッセルっぽいプラハンも要らないし。

ごめんね、全部要らないや。

そう答えつつ、これから国道沿いのバイク屋を回ってみると言う無茶な販売計画を持つこの訪問販売員のおじさんとちょっと喋った。
え?バイク屋にノーブランフォのネジ回し売りに行くの?
そんな無茶な。

多分、バイク屋でもこの工具は要らないと思うな。
多分、ネジ回しなんか一杯持ってるだろうし。
ってか、そもそも特定の会社からしか買わないと思うよ。

羅針盤。
販売戦略には、正しい方向を示す羅針盤が必要だ。
バイク屋にノーブランドのネジ回しセットを売りに行くのは、それは正しい方向を指し示してるとは言いがたい。
ヤフオクで1円スタートして、見かけの安さで煙に巻きながら送料の差額で儲けるのが正しい方向性だろう。
少なくともレッドバロンにペンチを直接売りに行っても多分相手にされない。
男爵キックで蹴り飛ばされるのがオチだ。
ジャンピング・レッドバロン・アタックでノックアウトは必至だ。

と、そんな出来事が随分前に有った。
工具を訪問販売で売り歩くと言う、なんとも無茶な生き方を選んだおじさんとほんのひと時語ったと言う、そんな出来事が。
その選択、その戦略は全然ダメだと思うよ。
って話をしてた、そんな出来事が。

でもおじさんは歩み続けたのだ。
全てを否定され、そしてうちひしがれつつも、おじさんは気力を振り絞り霧の中の道を壊れた羅針盤を頼りに歩み続けるのだった。
完全歩合制と言う過酷な道を。
茨と髑髏で彩られた地獄への道をただひたすらに。
鉄が詰まったやったらと重い鞄を肩に担ぎながら。

それから月日は流れたつい最近。

『こんにちは!』

と、またしてもやって来たそのおじさん。
前にねじ回し売りに来てたおじさん。

今度はどんなガラクタ売りに来たのか?
ちょっとは気の効いた戦略を立てて来たのか?
正しい羅針盤を手に入れたのか?

と、思いきやおじさんは華麗にジョブチェンジしていた。
大手宅配会社の制服に身を包んでいたのだ。

あれから、手を変え品を変えガラクタ売りに歩いたけど全くさっぱり一切売れなかったので転職したらしい。
そして今は無事、大手宅配便会社の社員として頑張ってるみたい。
で、この日はすぐ隣に宅配に来たので、ちょろっと顔出してくれたみたい。

仕事は大変だろうけど、完全歩合制でねじ回し売り歩くよりは余程正しい道なので、頑張ってほしいと思う。
私は、正しい羅針盤を手に入れたおじさんの門出を祝いつつ、ポカリを一本手渡して頑張るおじさんの背中を見送るのだった。

がんばれおじさん。
その道は多分正解だ。
少なくとも完全歩合制でネジ回しを訪問販売するよりも正しい道だ。

MOTOR CYCLE

Posted by tommy