つりキチ三平の葛藤

その昔、まだ二十歳やそこらの頃、ほんの一時期だけこんなバイクに乗ってた事が有る。

 

ホンダ CRM250。

AR燃焼と呼ばれる、プレイグニッション=自己着火を用いて燃焼効率を高めた2ストエンジンの最終形態のバイク、では無く、その前のモデル。
モデルとしては3代目。
良く見なきゃ見分けが着かないけれど、再度のゼッケンプレートの形が違うので、見慣れたらすぐに解る。
泥んこで走ってるCRMの見分けは無理にしても。

エンデューロで酷使されたバイクをお求めやすい価格で買ってきて、それを社会復帰させたバイクだったのだが、これがとてもつもなく高性能なバイクだった。
モトクロスコースでの絶対的な性能ではモトクロッサーとは比べるまでも無いのだけども、エンデューロコースや割とフラットな林道では、街乗り出来る市販車とは思えない程に素晴らしい走りを魅せてくれるバイクだった。

とは言えど、当時はYZ125に乗っていたのでモトクロスコースをCRMで走る事は無く、かと言ってエンデューロに出る訳でも無く、ただでさえほとんど林道に行かない上に、たまに行くなら大体はセローに乗っていくので、結局は街乗りしかしてなかった。
北海道とかに住んでたらこのバイクは最高だろうな、って思う。
当時横浜に住んでた私には過ぎたるバイクだっただけで。

 

そんな素晴らしいCRMだが、一つの問題を抱えていた。
それは、足がさっぱり全く着かないって事。
フルサイズのトレールバイクだから足が着かないのは珍しい事では無いのだけど、リアの車高がもともとちょい上がってたのに加えて、何を血迷ったのかモトクロッサーのようなフラットシート化してたので、シート高は1mくらい有った。

シートがフラットに成ると、前後の移動がしやすくなるので非常に乗りやすくなる。
CRF250LでもKLXでも、ダートを気合入れて走るならシートのフラット化を検討するのをお勧めしたいな。
一方、ハイシートは日常の使い勝手は最悪以外の何者でも無く、特にキックスターターしか付いてないCRMの場合、エンジンを掛けるだけで本当に苦労した。
当時はモトクロッサーもキックオンリーなのは当然な時代だったのだけども、それでもやっぱり欲しかったもんだよ。
ランツァのように、ボタン一発でエンジンが掛かる便利機能が。

信号待ちもまた悲惨。
縁石が有れば非常に助かるのだが、普通はそうそう縁石なんて無いので、1mのシート高でもどうにか足ついて止まる必要が有る。
TT-RやXR、ノーマルのCRMなら軽くハングオンしてやる程度で足は着くのだけど、ハイシート仕様にしてると私の足の長さではそれでも足りないので、より積極的に足を延ばしてやる必要が有るのだ。

具体的には、クラッチを切ってローに入れ、さらにバイクをちょい倒して左足を着地。
発進時は左足で地面を蹴ってバイクを真っすぐにして発進するか、或いはハンドルを左に切った状態で発進させる。
倒れてる方向にハンドルを切った状態でバイクを進めたら起き上がるので、倒れてる状態からスタートしてもまぁどうにかまっすぐ走ってくれる訳だ。

こんな乗り方してたら何時事故を起こすか分からないので、ほどなくして乗らなくなったんだけどね。
マモラ停め、との不名誉なあだ名を着けられた事がその原因の一つか否かは、まぁアレとして。

 

そんな無茶なバイクに乗ってたある日の事。
この日は珍しく、どこだったかの山の中へCRMを持ち込んでいた。
小休憩後、私に立ちふさがるまず最初の難関はエンジンを掛ける事。
前述したようにセルフスターターは付いてないので、1mのシート高のバイクに跨ってキックしてやる必要が有る。
だが一見、かなりの無茶な事に思えるかも知れないが、私には3つの勝機が有る。

一つは、やってる事はモトクロッサーと大差ないって事。
1m近いシート高のバイクをキックする、なんて事はYZ125と大差無いので、ぶっちゃけ大した事は無い、と言うか大変な事に大差は無いと言うべきか。
モトクロッサーならやらざるを得ないので、CRMでもやらざるを得ないよね、って事を受け入れる事は出来なくも無い。

二つ目は、始動性が抜群に良いので、キックさえ出来たらピストンの位置がどうのこうの考える必要は無い。
しかも2ストはキックがえらく軽いので、足さえ届いたらエンジンは簡単に掛かる。
XR600に比べたら遥かに簡単だ。

三つ目は頑丈なサイドスタンドが付いてるって事。
頑丈な鉄のサイドスタンドが付いてるので、サイドスタンドで立った状態でキックする事も出来る。
これはスタンドが華奢な一部の外国車や、そもそもスタンドなんて付いてないモトクロッサーには無い大きなメリットだ。

 

だが、この日の地盤ではサイドスタンドで立った状態でキックするのは難しいので、私はモトクロッサーのように大きく左にバイクを傾けた状態でキックする事にした。

イグニッションをオン、キルスイッチを確認。
キックスタートの車両ではこの2つをまず確認しないと、無駄に体力を消耗する事と成るので注意しよう。

イグニッションをオン、キルスイッチを確認。
バイクを左に傾け、左足で大地をしっかりと踏みしめて左ひざでバイクを支える。
右足をキックペダルに添えて力いっぱい蹴り下げ、ようとしたその瞬間!
ピピーー!!
ケンシロウに秘孔を突かれた敵キャラっぽい音が聞こえるかの、そんな感覚を覚えた。
攣った、攣ったった、攣ったったったった!

股が攣る。
嫁入り前の娘さんとしては、大きな声では言えやしない、そんなえらい事態に陥った、と有る山の中。
ハートがガラスで出来てるようなデリケートなお嬢様なら、股攣ったなんて周囲にバレたら首吊りたくなるような、そんな大きな事件だ。
何やってんだと、後ろを振り返る友人たちに、必ず行くから先に行ってろと、アンダルシアに憧れた人っぽい事を言い放ち、山の中で一人残された私は股を抑えたまま打ち震えるのだった。
まるで生まれたての可愛い小鹿ちゃんのように。

 

 

そんな、とても長い割に体して関係のない前振りを経て、やっとたどり着いた本題。
攣ったんだよ、攣ったったんだよ、攣ったったったんだよ、ってお話。

芍薬甘草湯。

この話は何度も書いてるが、やたらと攣りまくる私には決して欠かせない漢方がコレ。
もうね、足と言わず肩と言わず、脇腹だろうと何処だろうと攣りまくる。
幸いにして首を吊った事は無いが、首が攣った事は枚挙に遑がない。
そんな時に頼りに成るのがこの芍薬甘草湯。
もう不思議なくらい、ちょっと怖くなるくらい、本当に凄く効く。

そんな頼りに成る芍薬甘草湯だが、最大の難点は粉末や細粒だって事。
過去には、自動車運転中に足が攣ったので常備してる芍薬甘草湯を飲もうと思ったら水が無かった、なんて悲劇に見舞われた事も有った。
ドリンクタイプが出てくれたらうれしいのだけど、残念ながら細粒タイプしかお目にかかった事は無いので、これを水無しで飲むのはかなり難しい。
口の中がバホバホしちゃう。
ドリンクタイプが出て欲しいね。

そんな轍を踏まえて、私は寝る前に常にこの芍薬甘草湯とドリンクボトルを枕元に置いている。
だが、人ってのは365日24時間準備万端に生きれる訳では無い。
常に芍薬甘草湯が手元に有るとも限らないし、こんなに水が豊富な国に住んでるのにたかがコップ一杯の水が手元に有るとも限らないのだ。
寝る前には水を用意してたとしても、攣るのは何も寝てる時だけでは無いのだから。

 

横着な大勢でベッドの下を掃除機掛けてた私は、葛藤した。
突如として襲われた強烈な足の攣り。
床を這いながらベッドサイドの芍薬甘草湯に手を伸ばしたが、ここに来てまたしてもの芍薬甘草湯は有るのに水が無い問題に直面した。
寝る前には水を置いてる私だが、流石にお昼に掃除機を掛ける際に水を用意するほどに周到な人間ではなかったのが悔やまれる。
富子のバカ!

ふと目に入ったのが加湿器。
この日の朝に水道水を補給した加湿器の水。
この加湿器のタンクに入ってるのは、まだ塩素が抜けきれてない安全な水なので、漢方を飲むのに何ら問題は無いだろう。
今日の朝にコップに入れたか、今日の朝にポリプロピレン製のタンクに入れたかの違いで、中身は一緒なのだから。
少なくとも、じょうろに入った観葉植物用の水や、猫の飲み残しの水よりはマシだろう。

大して広くは無い家に住んでるが、でも流石に全てに手が届くほどに狭い訳では無いので、今現在においてすぐに手が届く水は加湿器の水しかない。
ここがゴビ砂漠ならば、自らが排泄した水分で芍薬甘草湯を飲むことさえも甘んじて受け入れるが、流石にそこまでスパルタンな状況ではないので、選択肢としては加湿器の水で手を打つか、体を引きずりながら蛇口まで這っていくかのどちらかと成る。
現実的な判断としては、やっぱり加湿器の水だろう。

.....いや、でも加湿器の水なぁ.....
生まれたての小鹿のように、或いは死にかけのアブラゼミのように、あまり人様には見せられない格好しながら芍薬甘草湯を片手に葛藤するのだった。
加湿器の水なぁ.....
....加湿器の水なぁ.....

MOTOR CYCLE

Posted by tommy