人の本質は善である

 

人の本質は善である。

前回と似たような話、だけどちょっと違う。

 

世の中悪事を働く人間は少なくない。
毎日のように犯罪は起こり、毎日のようにその手のニュースが駆け巡る。

逮捕されて卒業文集を晒されるような重大犯罪でなくとも、信号無視したりタバコを捨てたりスーパーのかごを盗んだり仕事サボってパチンコ屋に行ったり、なんて事は沢山起こってる事だ。
事の大小に関わらず、どれもこれも悪事に違いない。
悪い事する人間は、今も昔も沢山居る。
きっとマンモス追いかけてた頃から居ただろうし、銀色のピチピチした服を着る遠い未来にも居るだろうと思う。
悪い事する人間は、今も昔も沢山居るのだ。

 

では、人の本質は悪で有るか?
と言えば、必ずしもそうでは無いと私は思う。
犯罪者が悪人で有る、犯罪とまで言えなくとも悪い事する子は悪人で有る。
それに違いは無いが、100%の悪で有るとは言えない、言い切れないだろうと私は思う。

 

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http://www.city.eniwa.hokkaido.jp/www/contents/1370937397165/

 

不法投棄は悪だ。
間違いなく悪。
即斬されても文句言えない程に悪で有る。

だが、このような場所に空き缶1個捨てる際、アナタはどれ程の罪悪感を抱くだろうか?

何処で有ろうと、指定されたゴミ箱以外に空き缶を捨てる事は悪である事に違いない。
私もしないし、ここをご覧の皆様もしないだろうと思うけれども、罪悪感の重さを想像したら、仮に空き缶を捨てるとするなら、そのハードルは随分低いだろうと思う。
少なくとも楽しくお遊戯してる最中の幼稚園の庭にパリパリのエロ本を投げ捨てたり、父親の葬式の真っ最中に位牌に向かってバーベキューで出た灰を投げ捨てるよりは、随分と罪悪感のハードルは低いだろうと思う。
不法投棄されてるゴミの山に空き缶捨てる方が、罪悪感は随分と少ないだろうと思う。
何処に捨てようが悪である事に違いは無いのだけど。

 

罪悪感を抱く、その時点でその人は本質的には善人なのだろうと思う。
悪100%ならば、そもそも罪悪感なんて抱かないのだから。

『爆音なので近所迷惑に成らないように大通りまでバイク押してってエンジン掛けてます』

って人も、本質的には良い人なのだろうと思う。
頭の中はともかく、性根は良い人なのだろうと思う。
単に利己主義なだけな気もするけど。

 

本日のまとめ。

・悪い事する人はこの世には確実に、そして数多く存在する。

・だが、悪い事する人の全てが、100%の悪人とは言い切れない。

・悪事を働く人間は悪人で有るが、同時に罪悪感を抱く人間の本質は善で有るとも言える。

 

と言う、とても長い前振りを経た今日の本題は

『ママチャリを盗まれたのだけど、ボロかったから罪悪感をそう抱く事無く盗まれたんだろうね、盗んだ人は本質的には善人なんだろうね』

と言う話。

 

自転車泥棒には幾つかのパターンは存在すると思う。

・たまたま目に付いた自転車を無差別に盗む

・高級品だから盗む

・盗みやすそうだったから盗む

・ボロっちくて罪悪感も少ないから盗む

等、幾つかの行動パターンは有ろうかと思う。

 

どれだろうと自転車泥棒は悪である事に違いは無いが、数限りなく街に溢れてる自転車の中からわざわざボロっちいのを選らんで盗む人は、きっと自転車を盗む行為に罪悪感を感じる人なんだろうと思う。
ジャイアントのクロスバイクや、ブリヂストンの電動アシストを盗むより、色あせた黄色いママチャリを盗む方がハードル低かったんだろうと。
きっと本質は良い人なんだろうと。
そう思う。

 

でもそんな話は本当にどうでも良いので、元に戻しておいてくれないかな、と思う。

....ちくしょうめ。

 

Bicycle

Posted by tommy225we