夏と太陽とジャックナイフ

「私にジャックナイフを使わせるとは、いい度胸してるじゃないか」

右手にめい一杯の力を込めて、ジャックナイフを突きたてた。
真夏の陽光を反射し、鋭く輝くジャックナイフを。

 

ー晴天ー

憎憎しいまでのド晴天。
この日は気象庁発表値で38度。
だがそれはあくまで気象庁発表値。
この炎天下、バイクのガソリンタンクの上は一体何度まで気温は上がってるのだろうか。

上からの直射日光と下からはエンジンの熱気。
両面焼きグリルで焼かれるサンマのような気分に成りながら、炎天下の住宅街でセローを走らせていた。
小さな単気筒エンジンのセローと言えどもやっぱり熱い。
ヘルメットの中で頭が小龍包気分に浸りながら、熱さと暑さにひたすら耐えていた。

「やだ、蒸れちゃう、アタシ、蒸れされちゃう」

そんな事をブツブツ言いながら。
もちろん、そんな事は特にブツブツ言ったりせずに。

 

 

ー時速30kmー

その気に成れば一瞬で止まれるような速度。
時速30km。
本気を出したらチワワはおろか帆立貝ですら出せる、どうと言う事のないスピードだ。
出せるのも容易く、そして止まるのもまた容易い。
それはこのちょろいブレーキしか付いてないセローでも同じく、止まるのなんて容易い。
そんな速度。
時速30km。

 

 

ーだが、QBKー

30km/hなんて出すのも止めるのも容易い速度だ。

だが、急にブレーキ掛けられたらどうだろう?
目の前を走る車が、何の脈略も無く突然急突然停止したらどうだろう?
停止線の随分前、何も無い所で唐突に急ブレーキを掛けられたらどうだろう?
時速30km/hと言え、ABSが作動するレベルでの急停止をしたらどうだろう?
鼻歌を混じえながら華麗に止まる事は難しい。

急にスピン掛けられようが、急にから揚げにレモンとメープルシロップを掛けられようが私は泣いたりはしないけれど、目の前で急にブレーキを掛けられたらビックリはする。
あ、から揚げにメープルシロップ掛けられてもやっぱビックリするけどね。

ともかく急ブレーキはビックリする。
驚きと減速Gにより、胃の内容物が口からカミングホームそうなレベルで。
事前にゆで卵を丸呑みしてなくて良かったと思う。
そんなの吐き出したら、この先5年ほどはピッコロ大魔王呼ばわりされかねない。
ポコペンポコペン。

 

 

ー停止線20m手前ー

前の車が急ブレーキを踏んで止まったのは前の赤信号の停止線、の遥か20m手前。
測量した訳では無いので、15mかも知れないし25mかも知れない。
そんな細かい事はイイじゃ無いかとそっちにおいておいて、前の車が急ブレーキを踏んで止まったのは停止線の遥か20m手前と言い切っておく。

では何故、そんな所で急ブレーキを踏んだのか。
理由は以下より選択せよ。

1.営業マンが熱中症で倒れてた
2.うさぎが急に飛び出して来た
3.落とし穴が明いてた
4.その他

正解は4。
それはそこに有ったから。
それがそこに有ったから。

 

 

ー吸血鬼の足掻きー

人は日光が無ければ生きていけないが、人は日光を浴びすぎると死んでしまう。
そんな困った生き物の我らには、この真夏の日陰はある種のオアシスに感じる。

歩道は日の当たらない方を歩き、信号待ちでは木陰で待機する。
それが普通の選択。
わざわざ直射日光を浴びたがるのは、日焼けが自慢のガキ大将か宇宙刑事シャリバンくらいなもんだ。
そのような人たちは好きなだけ赤射してて欲しいが、私は勘弁だ。

夏は日陰が恋しい。
だが、だからと言って、自動車を運転してる人が、木陰が有ったからとそこで急停止するのはお勧めしかねる。
そこに日陰が有ったからと、急停止するのは愚行だ。
ハッキリ言ってアレだ。
もう、ホントにもう、アレだよ、ホントにもう!

そもそも自動車運転中は基本的にずっと直射日光を浴びるのだから、信号待ちの時の一瞬だけ日陰に入った所で大した意味は無い。
夜明け前についうっかり荒野に降り立った吸血鬼が、1本のサボテンの陰に頑張って駆け込むようなもの。
そんな一瞬だけ日陰に入った所で、そんなちょっぴり足掻いた所で何の意味も無い。
そんな一瞬、木陰に入っても何も意味無いよと言いたい。

 

 

ーヒマラヤカモシカの慈悲ー

とは言え、気持ちは解らなくも無い。
ちょっとでも日陰に入りたい、少しでも日差しを避けたい。
そんな気持ちは解らないでも無い。

でも、真後ろを走ってる人はすっごく驚くので、やはりそれは慎むべき愚行だ。
ミニバンだったから無理だったけど、Z34とかだったら、止まるの諦めてフロント上げてたかも知れない所だったよ。
威風堂々大岩に立つヒマラヤカモシカのように、車の屋根の上にセローを乗り上げてたかも知れない所だったよ。
幸か不幸か、ヴェルファイアの上にセローで乗り上げれるテクは持ち合わせてなかったのだけど。

良かったな、ヴェルファイア。
私が慈悲深い人間で。
私がステアケースを上げれない人間で。

 

 

ー1本か3本か、毛の話じゃ無くて指の話だよー

基本、フロントブレーキは1本指で、ほぼリアブレーキだけで止まるのがこの所の乗り方。
その昔は3本指でブレーキをギュっと握り、リアブレーキなんて添える程度だったのだけど、乗り方は時を経るにつれ変遷し、今はフロントブレーキは人差し指一本が常と成っている。

これは、やたら強力なブレーキが付いてるハイスペックなバイクを、アイドリングのちょい上くらいの回転数で走らせるように成ってからの事。
実際、時速40kmからZZR1400のブレーキを3本指でグワシ!と握ると危ない。
勿論ABSは作動するからスっ転ぶ事は無いだろうけど、そんな急ブレーキは危険極まりない。

だからブレーキは指一本。
流石にニッシンのラジアルポンプとラジアルマウントキャリパーは指一本でもすっごい効く。
一本でもニッシンの名は伊達じゃ無い。
五本でもロッキード、九本でもトキコじゃ無いのだよ。

だが、この感覚でセローに乗るとちょっと危ない。
ダートでは十分なブレーキなんだろうけど、アスファルトの上を安全に走るには正直な所、少々心もとない。
ジェベル200よりは遥かにマシだけどね。
スイングアームとライトステーに金使い過ぎて、ブレーキにまで予算が回らなかった、うっかりジェベ君よりは遥かにマシなんだけど、それでも少々心もとない事に違い無い。

だからセローではやっぱり3本が安心かと思う。
もっと強力な握力が有れば別だが、イチゴかトマトかお爺ちゃんのシワ袋くらいしか握り潰せない程度の可愛い握力の私には、2本でもちょっと心もとない。
やっぱり3本が良さそうだ。

3本ならセローのブレーキでもフルロックに持ち込める。
オマエ ノ シンゾー モ ニギリ ツブセル  ゾ。

 

 

ージャックナイフー

ジャックナイフ。
バイクの場合は、リアタイヤを上げて逆立ちの状態で停止する技を指す。
フロントアップと同じく、その気に成れば誰だって出来る技。
その気に成り、そしてその後の事を考えなければ。

やり方は簡単。
チョロチョロっと走った状態で、前の方に重心を移して腕をピンと突っ張ってフロントブレーキをガツン!と力一杯握る。
ABSが付いてないならそれでいとも簡単にジャックナイフは出来る。
1cm程しか上がらないか、そのまま一回転するかは別として、ジャックナイフ自体は容易い。

後ろの方に座って、最大トルク発生回転までスロットルを開けた状態でクラッチをポン!っと繋いでフロントを上げる、のと同じくらいに簡単。

1cm程しか上がらないか、そのまま一回転するかは別として、フロントを上げるのもリアをあげるのもその気に成れば簡単だ。
その気に成り、そしてその後の事を考えなければ。

 

 

ー私にジャックナイフを使わせるとは、いい度胸してるじゃないかー

突如、急ブレーキを踏んで停止したヴェルファイア。
驚いた。
超驚いた。
略してチョドロイタ。

右手にめい一杯の力を込めて、ジャックナイフを突きたてた。
真夏の陽光を反射し、鋭く輝くジャックナイフを。

強い減速Gを感じながら、限界まで縮るフロントフォーク。
着いちゃう、そんなに激しくしちゃ底に着いちゃう。
そんな小芝居する間も無く、限界まで縮まるフロントフォーク。
同時に、リアタイヤが大きく持ち上がる形でセローは停止した。

感覚的にはほぼ直角。
実際には20度くらいだろうけど、ともかくリアタイヤを持ち上げてセローは停止した。

「私にジャックナイフを使わせるとは、いい度胸してるじゃないか」

背筋に冷たいモノを感じながら、私はそう思った。
そして、幾ら暑いからと、冷や汗かくのはご免だと、ちょっとぐったりしながらそう思った。

 

 

そんな、ある暑い日の出来事。
それ以来、特に狭くてスピードの低い道路を走る際には、私は車間距離を余計に取るように心がけてる。
何時、訳解らない所で急停止されるか解ったものじゃ無いので、ヤバそうな道では特にいつもより余計に車間距離取るようにしてる。
どんどん人間不信に成ってきてる気もするが、ジャックナイフを振りかざすよりはマシだろう。
きっと。

 

MOTOR CYCLE

Posted by tommy