メランドリ、引退するんだってさ

 

メランドリがSBKへ主戦場を移したのは2011年。
当時はDucati一強時代から、ヤマハにホンダにスズキにアプリリアにと、華やかな顔ぶれの時代へと移行してた頃。

メランドリが入ったのはヤマハファクトリー。
2009年以来のタイトルを獲得するべく、鳴り物入りでSBKデビューを果たす。

 

優勝4回を含む15度の表彰台獲得でデビューイヤーにランキング2位と、流石の才能を発揮する。
お洒落なメガネは伊達じゃない。

流石はメランドリ。
来年のチャンピオンは確実だな。

そんな空気が流れたある日の事、ヤマハから無情の発表が成される。

『すんません、GPに金掛かるんで今年でSBK止めますわ』

と、メランドリまさかの2年ぶり2度目の倒産。
折角ランキング2位取ったのにぃ!

 

メランドリが次に流れ着いたのはBMW。
それまでのBMWはSBKレジェンドのトロイ・コーサーを持ってしても、10番手ちょいが精々な成績。
ツーリングバイクメーカーがスーパーバイクに何の用だ?と言われて仕方ない。

だが、そんなツーリングバイクメーカーのバイクに乗ったメランドリは、ここでもその才能を嫌って程に発揮し、初年度ランキング3位、翌年ランキング4位と、10番手ちょいが精々だったBMWを一気にトップチームへと引っ張り挙げた。

だが、二度有る事は三度有る。
2年ぶり3度目と成るファクトリー撤退。
何か憑いてるんじゃ無いのって感じでまたもやメランドリのチームは消滅。

BMW Motorrad Motorsport撤退により、メランドリはアプリリアへと流れていく。
GP500時代のヤマハ、ホンダ、ドゥカティ、カワサキ。
そしてSBKでのヤマハ、BMW。
さらにアプリリアも追加され、これでスズキ以外の全てを経験する事に。
まだKTMもアグスタも参戦してなかったからね。

メランドリが移籍した2014年は、チームメイトのギュントーリが見事にSBKタイトルを獲得する。
メランドリも6勝と善戦したものの、ランキングは4位。

でもやはりメランドリは強い。
来期こそはさらなる高みに上るのも間違い無いだろう。
イタリアンバイクを駆るイタリアンライダーが頂点に立つ日も時間の問題。
ドゥカティでの苦い思い出を払拭するのも時間の問題だ。

と思いきや、このタイミングでまさかのアプリリア縮小のお知らせ。
ファクトリーの形を保ってはいるが、事実上チームはRed Devils Romaへ。
ライダーはジョルディ・トーレスとレオン・ハスラムにチェンジ。
メランドリは、まさかのMotoGP出向を命じられる。

 

いきなりGPを走らされたメランドリ。
しかもSBKに毛が生えた程度のバイクに乗せられたメランドリは、最高成績18位と地獄の底でのたうち回る事に。
シーズン途中にフォワードレーシングのオーナーが何か有った事件によりチームが消滅したブラドルが途中より加入し、メランドリはそのまま首チョンパ。
望まないままGPに連れて来られて、ちょっとも走らないバイクに乗せられて、挙句の果てにクビ。
なんて不憫な扱い。
むごい、あまりにむご過ぎる結末。

 

やさぐれたメランドリは、一時ガラの悪そうな人達とツルんで何かやってたけれど、2017年に再びドゥカティファクトリーへ加入する。
妥当ジョナサン・レイに熱く滾る、チャズ・デイビスの相棒として。

初年度は優勝1回表彰台13回とランキング4位。
2年目は開幕2連勝と幸先良いスタートを切ったが、幾つか取りこぼしてランキング5位。
でもファクトリーとして最低限の成績を修めたので、次が有るさと言ってる最中に無情のクビ宣告。
バウティスタを取るからスマンかったなと。
明日なんて無かった。

 

順風満帆に始まったメランドリのレース人生。
だが、GP500でもSBKでも、頂点を手に出来そうで出来なかった。
時にボタン掛け間違え、時に大人の事情で翻弄され、手からコロリと栄光が零れ落ちたメランドリ。
ほんの少し、何かが違ってたら確実に頂点に手が届いたのに。
あとほんの少しだけ、ほんの少しだけ何かが違ってたら。

 

でも私は忘れない。
バイクレース界で最も不憫なこのお洒落メガネの事を決して。
決して、忘れないよ。

 

MOTOR CYCLE

Posted by tommy