進化

セロー250にせよ現行R1にせよ、乗ってみるまで結構甘く考えていた。
今さらR1やセローが大して進化しないだろう、と。
1980~90年代じゃあるまいし。

R1には今まで3台乗ってきた。
最初のはまだキャブだった時代。
キャブ終焉の世代。

それまで、1000ccのエンジンを載せたFZ750等と言う適当なバイクに乗ってた身からしたら、初めて乗った時は当たり前だけど驚いた。
なんちゅうもんを食わせてくれたんやと、涙を流す程、かどうかはともかく、驚いた。
これが80年代のバイクに90年代の足とエンジンを乗っけただけのバイクと、21世紀のスーパースポーツとの差か、と。

その後乗り換えたのが、まだインジェクション創世期だった時代のR1。
真っ赤っかや真っ黄色のイタリアンバイクを買ったもののどうにも扱いに苦慮してた、ってか余りにも乗りにくくてガレージのオブジェと化してたので、ちゃんと乗れるバイクをと買ったのがこのR1。
真っ赤や真っ黄色に対し、ガングレーのシックな佇まいがとても素敵だった。
世間様ではインジェクション創世世代だった事も有ってドンツキに不評を買ってたらしいが、それどころじゃ無い真っ赤なバイクに比べりゃ遥かにまともなバイクだったので、特にどうと言う事も無かった。

あ、別に真っ赤なイタリアンバイクがダメな訳では無い。
ただ、私には合わなかったってだけのこった。
ハンドルが、せめてあと5cm手前だったらまだどうにか付きあえたかも知れないが、あの遥か遠く低いハンドルと高い高いシートに起因する強烈な前傾ポジションは、私のボディサイズではちょっとしんどい。
国道走って神戸まで行くだけならどうと言う事は無いけれど、あのポジションで表六甲は下れない。
フロントブレーキを握ったら前転して神戸大学まで転がり落ちて行きそうな、あの凶悪な前傾ポジションは私には無理だ。
エンジンもブレーキも強烈だったけど、何よりあのポジションは私には無理だ。
今さら牛乳をガブ飲みした所で、背丈にゃ何の足しにも成りやしない。
用を足す機会が激増するだけの事だ。
いや、それにしても思った。
これは死ぬわ、って。

で、R1。
途中、ちょこっと浮気しつつ、またもや出戻ったのが尻からマフラー出てて目玉がギョロギョロしてる型のR1。
都合、3代目と成るR1。
世間では個性的過ぎるデザインに賛否が分かれたが、R1のデザインは初期型から賛否の分かれる強烈なデザインなので、これでイイのさ、これで。
可愛いよ、そのギョロ目ちゃんがとても。

顔はイカれてるけれど、性格は非常にジェントルだったのがこの型。
この超絶な進化と共に、私は改めて実感するのだった。
ああ、あの頃に騒がれてたドンツキって、あの事だったんだねと。
電子制御が圧倒的に進化した世代のバイクに乗ると、旧世代のバイクが抱えてた問題が改めて浮かび上がってくる。
ああ、アレがドンツキだったんだと。

そして現行R1。
先日私が乗ったのは、2015年のフルモデルチェンジした世代なので、見た目ではカウルの形がちょい変わったバリバリ現行モデルとは違うけれど、まぁともかく現行モデルって事にしておく。
Mの称号は着いてないけれど、それでも私にはもはや理解不能なちょうすごいばいく。

正直、凄かった。
どれくらい凄かったかって、そんな事はこちらのブログではちょっと書くのは控えておくけれど、ともかく凄かった。
何より、命の危険を感じないのが凄かった。
それが良いのか悪いのかは分からないけどさ。

 

ん?
セロー250?
ああ、それもちょろっと乗ったんだけど、セローファイナルモデルと、225としてはファイナルモデルだけど紛う事無きガラクタの私のセローとは、余りに各部の消耗が違い過ぎるので良く分からなかったよ。
蹴っ飛ばしても直らないから2度ほどシートレールを溶接し直したようなガラクタと、下ろしたてホヤホヤの新車を比べるのはちょっと難しい。
リアショックでも新品に入れ替えてやれば、セロー225と250の違いが分かるかも知れないけれど、そんな日は決して来ないので、きっと225と250の進化を実感する事は無いのだろうと思う。

ただ一つ言えるのは、パンツとバイクはやっぱ新しいのに限るね、って事。
使い込まれたパンツとバイクに異常なまでの執着を魅せるマニアも居るかも知れないけれど、私はやっぱ新しいのがイイやと、現行R1に乗って改めて思った次第だ。
等と言いつつも、ついついFZ750の姿を追いかけてしまう、困った私だったりもする。
一貫した生き方ってのは難しいもんだ。

そんな、大して中身は無いくせに長い長い前振りを経て、最近のテントってなんか凄いね、って事を書こうと思ったけど、なんか疲れたので次回へ持ち越す。
スマンかったね。

 

MOTOR CYCLE

Posted by tommy