ナンシーは、誰の心にも住んでいるんだよ

近所に住んでるそこそこ交流の有るお宅が、最近やたらとデカい車に買い換えた。
サバナとかバンデューラとかラムとか、そんな類の巨大な車に。
バス?ってレベルの巨大なバンに。

この前、たまたま顔合わせたので二言三言と軽く会話を交わしたのだが、その際危うく口から飛び出してしまう所だったのだ。
この車、何シーシー?って。
そんなナンシーが私の口から飛び出してしまう所だったのだ。
エクトプラズムのように私の口からナンシーが元気に飛び出してしまう所だったのだ。
危ない危ない。

 

ナンシー
主に高速道路のSAに生息する、これ何シーシー?とバイクの排気量を聞きに来る人の総称。

こう言っちゃ何なんだけど、実は私は別に嫌いでは無い。
意外と通りすがりの交流は嫌いでは無いので、見ず知らずの人と1分くらいの交流する事に拒否感は抱かない。
何時間も話し込もうとは思わないけれど、30秒や1分程度の交流に拒否感は特に抱かない。
まぁ相手にもよるけれどね。

 

これ何シーシー?

そう聞いてくるおじさんも、実は別に本当にそのバイクの排気量を知りたい訳では無い。
ただ何となく旅モードのテンションで、ただ何となくちょっと見ず知らずのライダーとひと時の交流をしてみたくなっただけで、特にあなたのバイクの排気量に興味なんて無い。
他に話題が、他に話す事なんて何も無かっただけの事。
排気量が何シーシーだろうと、最高速が何キロメートルだろうと、ナナハンだろうとナナハンで無かろうと、クランクがフラット(シングル)プレーンだろうとクロス(ダブル)プレーンだろうと、別にそのおじさんは特に興味無いのだから。
単に話す事が他になかった、ってだけの事で。
話す事が無いなら話し掛け無きゃイイんだけどね。

ちょっとした会話を交わす際、どこまで正確な話しをするか?

これって簡単なようで意外と難しい話でも有る。
仕事上の話しや職務質問なら正確に話さないと何かと後々厄介な事に成る可能性は高いが、適当に交わす適当な話なら、まぁ適当でイイんじゃ無いのって思う。
毎日ブログを書いてたら、過ちは絶対許さないマンに遭遇する事も有るのだけど、365日間違いなく厳密に生きるってのは中々に難しいので、適当な場面ならまぁ適当でイイんじゃないのって思う。

健やかなるときも、病めるときも...(中略)...誓いますか?

と、結婚式のクライマックスで牧師にそう訊ねられた際、普通にイエスと答えておくのが正しい。
適当な場面でも無いのだけど、やっぱりここは適当に答えておくのは正しそうだ。
状況によるのでこの場では一概に言えません、例えば....
なんて事は、言ってる事はきっと正しいのだろうけど、そんな邪魔臭い事を言う事自体が間違ってると言わざるを得ない。

そりゃ状況次第なので先の事までそう簡単に誓えやしないんだけど、でもそんな堅い事言わずに誓っておくのが正しい生き方なんだろうと思うな。
グダグダ言われたら牧師さんも困ってしまうだろうしね。
ただのバイトなのに。

 

ちょっとした会話を交わす際、どこまで正確な話しをするか?
随分昔のある日のガソリンスタンドで遭遇したナンシーに、私はちょっとした思案をさせられたのだ。

乗ってたのはセロー225。
これが250なら、素直にニヒャクゴジュウシーシーと答えれば済むのだが、225の場合、ニヒャクニジュウゴシーシーと答えるのは中々にややこしい。
上記したように、そのナンシーさんは別に私の乗ってるバイクの排気量を知りたい訳では無い。
ぶっちゃけ、どうでもイイ話しな訳だ。
その相手に、懇切丁寧に225ccだと、或いはさらに正しく223ccだと答えるのはちょっと億劫。
返答された方も困ってしまうだろう。
いや、別にそんな厳密な話ししたい訳じゃないんですよと。

だから、まぁ適当にニヒャクゴジュウシーシーだと答えておくのが簡単なんだけど、当時の私のセローには225って文字が描かれてたので、その返答には若干の齟齬が生じてしまう。
それにまだセロー250がこの世に生まれてなかった頃の話なので、225を250と呼ぶのはやはり正しいとは言えない。
中々悩ましい話しだ。
出来るなら、そんなどうでもイイ事を聞いてくるなと言いたい気分だ。

 

と、まぁそんな訳で、結局どうでもイイ事はお互いの為に聞かない方がやっぱり良さそうなので、ご近所さんにナンシーを撒き散らないように注意しようと思う。

でも....ちょっと聞いてみたいような気はするんだよ。
マンモスみたいな巨大な車だから、一体何シーシーなんですかと、ちょっとね。

そう、ナンシーは、誰の心にも住んでいるんだよ。
あなたの中にも、きっと。

 

MOTOR CYCLE

Posted by tommy