文章技術は一つでは無い

昨年の秋頃から、またちょこちょこと文章を書いている。
と言ってもこのブログのように適当な、皿回しの練習しながら足で書いたような文章では無く、もうちょい真っ当な文章を。

なんちゃら工業新聞だとか、或いは一部のニッチな業界の会社の休憩室か図書館にしか置いてないようなマニアックな、そしてほぼ誰も読んでないかもね、な文章を書いてる。
何処で何を書いてるのか、なんて事はこの場では発表しないけれど、まぁ少なくともアエラや現代やデラべっぴんで無いのは確かだ。
そんな高貴で崇高な雑誌では無い。

ともかく、そんなマニアックでニッチな雑誌に文章を寄せてるのだけど、それにはこの猫がキーボードの上を歩いて書いたような適当な文章ではちょっとした問題が生じる。
大問題ですわ。

文字数だったり、表記の決まりだったりと、何かと守らねば成らない制約は有るのだけど、最も重要なのは骨子を明確に据えた正しい文章を書く必要が有るって事。

例えばグリップヒーターを取り付けた話を書く場合

・取り付けるに至った動機

・グリップヒーターの説明

・グリップヒーターの種類

・グリップヒーター取り付けの注意点

・まとめ

グリップヒーター付けた話なんか書いても誰も金くれないんだけどね。
でも例えばこんな話を書く場合、上に挙げたような話の本筋を貫く骨格を作って、文字数を計算しながらそれに肉付けして行くのが普通。

これらの文章の書き方は、私のような民間人とプロのライターとは大きく精度もレベルも違うだろうが、一般的には可能な限り簡潔で解りやすい、最低限の文字数で表現するように心がけるのが通常。
特に雑誌では誌面のスペースに都合が有るので、有る程度の指定された文字数に収める必要が有る。
余っても足らなくても問題だ。
だが、文字数を増やすのは簡単だけど減らすのは難しいので、最初から足りない位で書くのが簡単な道だろうと思う。
私のような民間人とプロのライターとは大きく精度もレベルも違うだろうけども。
プロならザっと書いても指定文字数を合わせるアキュラシーを持ってるんだろうけどね。
民間人には中々に難しい話な訳だ。

 

簡潔に、少ない文字数で、それでも確実に必要な事柄は確実に記述する。
それがまず、最も重要な点。

グリップヒーターが余りに気持ち良いので、もう1セット購入して、ほかほかチ○コケース作ったよ!
なんて余計な事を書くのはご法度だ。
余計な事しか書かないこのブログとは真逆の、と言うかごく一般的な文章構成技術が求められる。

まぁでもねぇ。
このブログは基本的に、指の先っちょだけで書いてるので、既に皆様は重々ご承知のように余り頭は使ってない。
起承転結や、骨子に沿った簡潔な文章構成や、皆様の役に立つ情報や、なんてのは特に考えてない。
いかがでしたか?
とんだクソブログでしたね。
新年早々スマンかったでしたね。
有難うございました。
なんて、私の指の先っちょだけはそんな素敵な文章を中々書いてくれないんだな。

 

まぁでも、一応は偉い人に怒られる事も無く、大幅に改変される事も無く、継続して文章を書く機会を与えて頂いてるので、特に問題は起こってないんだろうと思う。
このままもうちょっと真面目に続けようと思う。
チ○コケースの話なんて書く事は無く。

 

文章には主語とそれに対応する述語が必要だ。
主語が無い、或いは主語と述語があやふやな文章は、文章として成り立たない。

『お陰でとても使いやすく成りました』

もし超能力者ならこれだけで全てが通じるのかも知れないが、まだその領域に超絶進化していない21世紀に生きる通常の人間は、コレだけではきっと何を言ってんだか解らないだろう。
たまに、書いてない事を勝手に想像して喧嘩売って来る困った人も居るけれど、通常はきっとこれだけじゃ何の事かは解らないだろう。
だから何のお陰で何が便利に成ったのかをちゃんと書く必要が有る。

『頭部バルカンのお陰でジオンの豆戦闘機を落としやすくなりました』

このように、主語と述語を明確に記述する必要が有る。
ああ、あのコメカミの辺りからバリバリ撃ちまくってるアレが有ると、ジオンのアヒルちゃん戦闘機を落とすのには便利なんだね、と言う事が1行ですぐに解る簡潔な文章だ。
小学校で習うような当たり前な事なのだけど、自分で書いた文章を頬を赤らめながら読み返してみると意外とそれが守られていない場合が有る。
原因は、自分では言わんとする事が解ってるから。
トランス状態で文章書いてる人ならその限りでは無いのだけど、通常はそうでは無いだろうから自分で書いてる事は自分で理解してる筈。
だからついつい言葉が足りなくなってしまう訳だ。

『あのデコスケ野郎はアレだね』

と、これを書いてる私には何の事だかは解ってるのだけど、これを読んでる人はきっと何の事かは解らないだろう。
書いてる私でも、2日後に読み返したら何の事かきっと解らなくなってると思うしね。
だから、正しい文章を書こうと思うなら、必ず第三者の読者からの視点を意識する必要が有る。
少なくとも、主語と述語ははっきりと明記する必要が有る。
それが通常、正しいとされる文章の形だ。

 

だが時に、その辺りをちょっと曖昧にさせるのが正しい場合も有る。

『頭部バルカンのお陰で対人戦闘が便利になりました』

言わんとする事は解らないでも無いが、頭部バルカンをどのように人間に向かって使うのか、そしてそれを使うと人間はどうなるかの点については説明不足だと言える。
だが、清廉潔白の白をベースに、勝利、栄光、平和を意味する三色に彩られた絶対大正義の三色機ガンダムには、それを生生しく語るのは少々不適切とも言える。
冬でも半ズボンはいてるような少年には刺激が強すぎるだろう。
スピルバーグの映画なんてどうせジャリ向けの映画だろ?
と、食事時にプライベートライアンを見てドン引きしたあの日の事が思い返される。

 

このように、主語と述語を余りにも正しく表記表現するのが読む側に取って問題が有る場合も有れば、主語と述語を正しく表記表現するのが書く側に取って問題と成る場合が有る。

ただ、余りにぼやけさせると何が言いたいのかサッパリ解らなくなってしまうので、周囲の空気とのバランスを上手く取ってやる必要が有る。
高い技術が必要だ。

説明はしなきゃ成らない。
でも、あまり説明するのはそれはそれで問題が有る。
大いに問題が有る。
どんな問題って?
そりゃもう、大きな大きな問題だよ。

あんまり問題が無ければ、このように言い切れるんだけどね。
文章ってのは難しいもんだよ。
いやまったく。

 

節目節目に実は私も考えてるのだ。
そろそろ仕様変更しようか、なんて事を。

ぶっちゃけ、普通に書いた方が簡単で、きっとそっちの方がアレがアレするんだろうとは思う。
ナニがナニするかはアレとして。
ただなぁ.....

と、あれこれ考えてる間に2021年。
結局の所、まぁこのままでいいかと、こんな感じで始まってしまったので、何事も無い限りはこんな感じで今年は終わる事に成ろうかと思う。
どんな感じかって?
こんな感じだよ、こんな。

 

いかがでしたか?
新年早々とんだクソブログでしたね。
新年早々スマンかったでしたね。
有難うございました。